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SMAP  解散騒動の真実 芸能界のタブーを犯した?⑥

   



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SMAPの解散騒動のきっかけと真相

SMAPの女性マネージャーI氏の独立問題は、
『週間文春』(1月29日号)が報じたジャニーズ事務所の
副社長・メリー喜多川氏(89歳)のロングインタビューが
きっかけとなった。


そこでI氏はメリー氏から「次期社長は娘のジュリー
(副社長)。対立するならSMAPを連れて出ていって
もらう
」と断じられている。









I氏はSMAPの結成当時からの”お母さん役”


「SMAPは、デビュー曲はオリコンチャート2位だったものの、完全に
落ちこぼれグループ。その後も鳴かず飛ばずで専属マネージャー
もいない状態だった



そして、見かねて面倒を見始めたのがデスクのIさんだった


当時、小学生でランドセルを背負っていた香取の勉強を見てあげたり、
衣装が破れていたら縫ってあげたり、“お母さん”のような役割でした。」
(テレビ局関係者)



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そうこうしているうちに、ジャニーさんから”I、面倒見てよ”と
SMAPのマネージャー的な仕事も任されるようになったんです。


当時、マネージャーをやるなんて、事務所の女性では初めてのこと
だったと思いますよ
。」(前出・テレビ局関係者)









I氏のマネージメントによるSMAPの躍進

I氏のマネジメントが始まり、以降、SMAPはアイドルの王道
とは異なる道を歩み始める。


‘92年、SMAPにとって初めてのレギュラー番組は
『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)だった。


「ただコントに挑戦するだけでなく、当時のアイドルには
ありえない格好悪いカツラをつけて芸人以上のリアクションで
番組を盛り上げた。


Iさんの提案でしたが、最初は本人たちも渋っていたんです。


だけど、そのハメの外し方が新しいと人気に一気に火がついた。


そこからメンバーはIさんのことを徐々に信用するように
なっていきました。
(前出・テレビ局関係者)






SMAPの快進撃が始まる

‘94年、デビューから2年半、通算12枚目のシングル
『Hey Hey おおきに毎度あり』でついに念願の
オリコン1位を獲得した。


ここからSMAPの快進撃が始まる。


「SMAPの楽曲は他のジャニーズとは全く違います。
Iさんがその時々で波に乗っているアーティストに作詞作曲を
依頼するからです。


『セロリ』は山崎まさよしの作詞作曲、『夜空ノムコウ』は
スガシカオ。『ライオンハート』は脚本家の野島伸司が初めて
作詞した曲です。


それまでのアイドルのイメージを覆すような斬新な試みを
続けてきました。」(音楽関係者)


最新曲の『愛が止まるまでは』は「ゲスの極み乙女」の
川谷絵音が作詞作曲を担当。これもIさんの提案だったという。




















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